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世界に焦がれる旅をして

楽しかった旅の終わりのように人生を終えたい。

ずっと、死ぬのはこわい、死ぬって何、
と考えていて、それは今も変わらず怖いけれど、
たとえば名残惜しい旅の終わり、同行者を見送るように、
この生に有難うと思って死にたい。

京都に行ってきました。
ほんとうに幸福な旅行だった。京都駅で待ち合わせ、
清水に詣り、紫陽花を眺めながら境内を後にし、
三年坂から二寧坂、みしなでの小休止、
河原町の散策、フランソア、友人宅から先斗町へ、
ごくごく気軽な床、食べ終わる頃に降り出した雨、
暗い電車を降りて目の前にあった快適な宿、
そして夜、朝。
人力車で竹林を抜ける涼やかさを刷り込まれてしまったので、
これから私は初夏を迎えるたびに、嵐山を恋しく思うだろう。

京都駅の伊勢丹はただの百貨店だけど、
そこで買った指環には思念の魔法がかかっている。
絶えず身につけて私の骨にする。


反転。
しようと、思ったけどうまくできなかったので、小声。




夜を思い出すと赤面する。

どんなに諦めたつもりでも二人称を求めている。
放擲しなければ、と思ったときの絶望感と、
すくいあげられたときの安堵。

ひとりはとても淋しい。

こんなに何もかもがきちんと伝わる
友人がいる奇蹟が、もはやおそろしいくらいで、
これを大事に運ぶ術を知らないので
変質を終わりと看做しがちなので
手を振って見送るときのことを早くも考える。

それでも幸せならばたぶん耐えられるだろう。

こうやって、奇蹟としか思えない出会いと別れを繰り返して、
一瞬の成就にすくわれたりして、その永続を願って、
次の出会いを探して、諦めきれなくて、
たぶん力尽きて死ぬまで、潮時だと納得して死ぬまで、



そういうふうに、世界に恋をして生きて死ぬ。


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2012.06.17 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

コメント

補足

でもだんだんポジティブになっているし、
奇蹟が何回もあるということは
人生は結構わたしに優しいのでは、
と思っているので、

死ぬときに見たら一枚の絵のように
とてもしあわせだったなあ、と思いたい。

そんで変質してもつながっていることが
ちゃんと幸福であると理解できるようになる
ことが次の目標。

2012/06/17 (日) 18:12:17 | URL | 容 #k9DUaeyA [ 編集 ]

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