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割れ鍋綴じ蓋

 おざなりに塗った古い口紅は、手入れもしていない肌のくすみを目立たせるばかりで、柔らかな雰囲気は微塵も作らない。これならすっぴんで来るほうがマシだった、と舌打ちしたい気持ちを意識しないようにして、コートの前を合わせ直し、髪を下ろす。少なくとも当てたばかりのパーマは柔らかな弧を描くはすだし、胸のあたりで揺れる毛先は女らしさの記号として役立つだろう。
 突然の呼び出しに泡食らって応じたのが15分前。駅の出口で待ってる、という台詞が既に切り札、風を遮るもののないその場所の冷え込みは容易に想像できて、着替えや化粧よりも何よりも早く、冷気から相手を遮断することが最優先だから女は走ってここに来た。
 あ、と空気の漏れたような声をあげて、マフラーに顔を埋めていた男がふにゃりと笑う。早かったねえ。早く来たのよ、寒いでしょ、直接うちに来ればよかったのに。つけつけ叱りつける口調が恋人よりも母親のそれであることにうんざりしながらも、女は尖った声を切り替えることができない。なにしろこれは別れた男なのだ。二週間前、俺、好きな子できちゃった、と言って部屋を出ていった正真正銘の「元彼氏」。つまり自分は紛うかたなき振られ女で--やめたやめた。どうせ女と喧嘩して追い出されたか、埒もない忘れ物を思い出して取りにきたのだ。数時間後には半年前までそうだったような、女ひとりの静かな規律正しい生活が再開されるに決まっている。
 だから推測はしないことにして、家の方角へ男の手を引いて歩きながら、女は単刀直入に、何しにきたの?と尋ねた。ごめんね、忙しかった?と首を傾げる男には取り合わず、視線だけで質問に答えるよう促す。男は困った表情で目を逸らし、逸らした先にあった屋台のたこ焼きを物欲しげに数秒見つめてから、だってアケミちゃんが呼んだからと言う。は?あたしが? 裏返った相槌に苛立ちと呆れを察したのだろう、たこ焼き食べたい、買ってくるね、男はそそくさとその場を離れた。
 ……あたしが?アレを? 残された女はぐるぐる男の台詞を反芻している。白状すれば昨日男に連絡しようとしたことは事実だ。メールを新規作成して、疑問詞をいくつか含んだ文章を作って、保存と編集を繰り返した挙句送らないまま削除した。その気配を感じ取ったとでも言うのか。確かに勘のいい男ではあった、紅の色を変えれば必ず気づく、花を飾れば嬉しげに笑う。男と暮らし始めてからはついつい財布の紐が緩み、要りもしない化粧品を新調したりしたものだった。冬のドラマティック新色とかいう口紅は男が出て行ってすぐさま捨てた。今つけているのは職場につけてゆくためのコーラル、いつ買ったのかさえ分からないただ一本の紅。
 ねえアケミちゃん、髪型変えたんだよね。髪の毛くるくる、かわいいね。湯気を立てるビニル袋片手に戻ってきた男がにこにこ笑って言う。先ほどの気まずさは小銭と一緒に屋台に置いてきたらしい。失恋したから気分転換よ、女の不機嫌に瞬間肩をすくめるが、滑り込ませるように女の指に絡ませた手を数回ぎゅっと握る。アケミちゃんが呼んだらいつだって来るよ、俺でよければ、ぜったい、ひとりぼっちにさせないからね。
 いい気にもほどがあるわよ、女は声も出せずに首を振る。けれど繋いだ指先は暖かくて、泊まるの?と訊いたら男は、にこにこ笑って帰ろう、と言った。

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2013.02.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 創作

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