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20130312

 指先が剥がれ落ちるようになった。
 日焼けしすぎた肌の表層が崩れるように、乾いた粘土細工が罅割れるように、日一日には僅かな変化であるが、指先が輪郭を変えていく。文章を書く仕事をしているので不便でならない。キーボードの隙間に残骸が入り込むのも不都合である。何より、このまま指を失ってしまえば、同時に職も失う危険がある。医者に行くことにした。
「どうしようもないですねえ」
 医者は首をかしげてそんなことを言う。痛いんですか。痛くはないです。何か薬品に触れましたか…いいえ、ちっとも。原因が分からないんですよね。似た症例も全然ない。乾燥した肌の剥がれに似ているきはしますが、保湿クリーム出しておきましょうか。
 もはや治らないものと腹を括って上司に相談した。上司は私の手をまじまじと見つめて、うわあけっこう削れたな、と感嘆した。怖いなちょっと。痛いか? 痛くはないです。不便だな。ええ。うーんこれはまずいな、おまえ、仕事できないんじゃないか。職場変えてやろうか。
「いやです」
 思いがけず鋭い声が出た。悲鳴のような甲高い音に驚いて口元を押さえる。失礼しました、と謝ると、上司はほほえんで、当然だよ、と言った。ふつうは怖いし不安だし苛立つ。おまえはちょっと、我慢が利きすぎる。口述入力できるパソコンを買えばいいんだ。予算は取ってきてやる。そしてお前は、俺と住め。
「いやです」
 今度は平静に回答できた。上司が頭に来たようで、この石頭、と言って後頭部をはたく、拍子にぱらぱら散っ舞った破片に二人して硬直する。アタマ、崩れましたよね。
 ……いや、今のは俺の手じゃないか。上司が静かに静かに言うが、彼の指にはつるりと磨かれた綺麗な爪が光っている。どうしようかな、私、ケースに入って暮らすしかないみたい。課長と仕事できる時間も、もうあんまりないみたい。
 だから俺の家に来て住めよ、と上司は言う。いやです、と私は言う。くそ、抵抗できない身体になったら拉致監禁してやる。その前に身投げしてやる。口答えしながら、喉を震わせる自分の呼吸がそれを崩す日に思いを馳せる。

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2013.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 創作

割れ鍋綴じ蓋

 おざなりに塗った古い口紅は、手入れもしていない肌のくすみを目立たせるばかりで、柔らかな雰囲気は微塵も作らない。これならすっぴんで来るほうがマシだった、と舌打ちしたい気持ちを意識しないようにして、コートの前を合わせ直し、髪を下ろす。少なくとも当てたばかりのパーマは柔らかな弧を描くはすだし、胸のあたりで揺れる毛先は女らしさの記号として役立つだろう。
 突然の呼び出しに泡食らって応じたのが15分前。駅の出口で待ってる、という台詞が既に切り札、風を遮るもののないその場所の冷え込みは容易に想像できて、着替えや化粧よりも何よりも早く、冷気から相手を遮断することが最優先だから女は走ってここに来た。
 あ、と空気の漏れたような声をあげて、マフラーに顔を埋めていた男がふにゃりと笑う。早かったねえ。早く来たのよ、寒いでしょ、直接うちに来ればよかったのに。つけつけ叱りつける口調が恋人よりも母親のそれであることにうんざりしながらも、女は尖った声を切り替えることができない。なにしろこれは別れた男なのだ。二週間前、俺、好きな子できちゃった、と言って部屋を出ていった正真正銘の「元彼氏」。つまり自分は紛うかたなき振られ女で--やめたやめた。どうせ女と喧嘩して追い出されたか、埒もない忘れ物を思い出して取りにきたのだ。数時間後には半年前までそうだったような、女ひとりの静かな規律正しい生活が再開されるに決まっている。
 だから推測はしないことにして、家の方角へ男の手を引いて歩きながら、女は単刀直入に、何しにきたの?と尋ねた。ごめんね、忙しかった?と首を傾げる男には取り合わず、視線だけで質問に答えるよう促す。男は困った表情で目を逸らし、逸らした先にあった屋台のたこ焼きを物欲しげに数秒見つめてから、だってアケミちゃんが呼んだからと言う。は?あたしが? 裏返った相槌に苛立ちと呆れを察したのだろう、たこ焼き食べたい、買ってくるね、男はそそくさとその場を離れた。
 ……あたしが?アレを? 残された女はぐるぐる男の台詞を反芻している。白状すれば昨日男に連絡しようとしたことは事実だ。メールを新規作成して、疑問詞をいくつか含んだ文章を作って、保存と編集を繰り返した挙句送らないまま削除した。その気配を感じ取ったとでも言うのか。確かに勘のいい男ではあった、紅の色を変えれば必ず気づく、花を飾れば嬉しげに笑う。男と暮らし始めてからはついつい財布の紐が緩み、要りもしない化粧品を新調したりしたものだった。冬のドラマティック新色とかいう口紅は男が出て行ってすぐさま捨てた。今つけているのは職場につけてゆくためのコーラル、いつ買ったのかさえ分からないただ一本の紅。
 ねえアケミちゃん、髪型変えたんだよね。髪の毛くるくる、かわいいね。湯気を立てるビニル袋片手に戻ってきた男がにこにこ笑って言う。先ほどの気まずさは小銭と一緒に屋台に置いてきたらしい。失恋したから気分転換よ、女の不機嫌に瞬間肩をすくめるが、滑り込ませるように女の指に絡ませた手を数回ぎゅっと握る。アケミちゃんが呼んだらいつだって来るよ、俺でよければ、ぜったい、ひとりぼっちにさせないからね。
 いい気にもほどがあるわよ、女は声も出せずに首を振る。けれど繋いだ指先は暖かくて、泊まるの?と訊いたら男は、にこにこ笑って帰ろう、と言った。

2013.02.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 創作

2012.10.14 水無月雨夜

 
 あなたは虹を抱えている。あなたの胸の前には透明なドームがあって、虹は外界を遮断した中空にぽっかりと浮かんでいる。胸の前にドームがあっては当然ながら暮らしにくい。他人とぶつかりやすく、自分も傷を負いやすくなる。樹脂に似た材質の外壁は、弾んで指先を跳ね返し、爪を立てても沈んで受け止める。半月形の痕が残る表面を見てあなたは溜息を吐く。選択の余地がないことをあなたは既に知っている。理由も猶予も期限もなく、ドームは初めから存在した。あなたの指さえ受け入れない独立の空間。他人の眼には気詰まりな場所塞ぎに違いない。どんなに抱き合おうとも、ドームがある限り相手とあなたが密着することはない。

 あなたが虹を見つけたのはそんな夜だった。弾力あるドームが他人を押し返しあなたも押し返された夜。あなたはバーのスツールに腰掛けて酒を飲んでいた。紋切り型を踏襲することで一切合切が虚構にならないかと頭の片隅で期待していた。喉を焼く酒が胃の腑まで焼き始めた。翌日の休みが二日酔いで台無しになることをあなたはむしろ希っていた。ドームこそ抱えているが、あなたは人に冷淡な性質ではなかった。あなたは幾度も反芻した、ハードリカーを噛み締めながら、自らの言動を繰り返し再生した。あなたはあなた自身に過ぎないというのがあなたの結論だった。一重瞼で斜視の瞳、低い声、納得を行動要件とする頑なさ。ともすれば不機嫌の表出と解釈され他人を困惑させるかもしれないそれらの要素は、手入れされた肌やすらりと伸びた指や約束への忠誠といった美点で相殺できるものではなかった、矜恃で保持する美点がかえって他人への威嚇になり得ることまであなたは承知していた。

 あなたはさらに杯を重ねた。視界が滲んで狭くなった。潮時だとあなたは判断した。これ以上は飲酒でさえない。あなたはバーテンダーに会計を申し出、あわせて水を所望した。バーテンダーは水にライムを添えて寄越した。ロングカクテルのようだとあなたは笑った。ストレート、ダブル、を繰り返した客に向ける気遣いとしては破格だ。あなたはグラスを掲げて飲み干した。水があなたの喉に頬に流れた。カウンターにグラスを戻したとき、胸元に漂う色彩に気づいた。
 虹が、とあなたは言った。心の中で。あるいは声に出ていたかもしれない。バーテンダーがあなたを見てほほえんだ。あなたはそのまま唇を動かす。あなたが信奉するロックスターの歌声は、血液成分となってあなたの体内をめぐっている。

あめは、ふるのに、はなは、なかなか。

あなたは声を立てて笑い始める。笑いながらバーを後にする。外は闇夜、六月の長雨は当分続きそうだ。

2012.10.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 創作

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